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[ズバリ徹底検証!?] 郡馬県の養蚕業の歴史、実態、養蚕農家数は!?衰退したの!?

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郡馬県の養蚕業は昔からかなり全国的にも有名でした。

繭と生糸は日本一というキャッチフレーズまで出てたくらいですから。たしかこれは「上毛カルタ」。

実は私の実家でも昔から養蚕業をかなり大々的に営んでおりました。

ですから、その養蚕をかなりお手伝いしていたわたしは、仕事の内容や辛さを身をもって経験してきたつもり。

 

それでも、私が中学生になる1980年代後半から近所でも養蚕をたたんで、やめてしまう家計も出てきた。

養蚕は、お金を稼ぐのに割が合わないし、他の仕事をしたほうが稼げる時代になっていたのかもしれない。

 

私の家でも、最終的には私が高校の1990年前半に養蚕の仕事をまったくやめてしまいました。

それでも私はそのあと高崎経済大学に進学して、ゼミの卒論テーマを「群馬の養蚕業の考察」にしていたのですよ(笑)。

 

大学を卒業するころは、私の家の近所では養蚕農家が一軒もなくなっていたのかなw。

 

養蚕業って!?

 

カイコ(蚕)を飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業である。遺伝子組み換えカイコを用いた医薬素材の生産や、カイコ桶を利用して冬虫夏草を扶養するといった新しいカイコの活用も進んでいる。

 

私の家での養蚕業の実際は!?

わたしの家では生まれた昭和48年には、家でも近所でも南下でも北下でも大々的にかなり本格的に養蚕業を営んでいました。

養蚕業を生業(本業一本)にしていた家計もありましたし、わたしの家では、養蚕業は副業の二足、いや三足のわらじの形態でした(大工、野菜出荷、養蚕業)。

 

それで朝早くから、両親がかなり離れた桑畑にカイコのえさの桑をいっぱい取りにいったりしたものです。

それから実家の二階や、倉庫で、大量のカイコに定期的に桑を餌としてばらまくように与えていましたよ。

 

カイコ上げという、カイコを繭にするための大掛かりな引越しみたいなときは、作業が多くなりますので、近所や親せきの方々が大勢手伝いに来ていたのは懐かしいことでした。

 

カイコを手に触れたり、持ったりすることについて!?

 

私の両親はカイコを平気で持っていた。わたしもカイコ上げの時だけはもっていましたが、

養蚕業をたたんだ今考えると、よく持っていたと思う。今、2020年カイコが目の前にいたなら持つことはできない。

 

大学のゼミの卒論のテーマは!?「郡馬の養蚕業」に関して!?

 

わたしの高崎経済大学在籍時の卒論のテーマはどうして、養蚕業と関わっていくことになったのか!?

なぜ、養蚕業?卒論に関して、特に何を書くか決めていなかった私は多少詳しい養蚕業について論じることにしました!

 

他のゼミの仲間のテーマは何だったかはよくは覚えてはいません(笑)。

 

郡馬県の養蚕業のその歴史は!?

 

養蚕業は、日本の近代産業の先駆けとして、地域経済や文化の形成に大きな役割を果たしてきました。

現在は海外からの安価な生糸・絹製品の輸入により、養蚕農家数、繭生産量は縮小を続けていますが、郡馬県の繭生産量は全国の約4割、生糸は約6割を生産する全国一の養蚕業です。

 

郡馬県では、独自に開発した特長のあるオリジナル蚕品種を活用した「ぐんまシルク」のブランド化や新たなカイコ産業の実現を目指した遺伝子組み換えカイコの実用化に取り組み、「ぐんまの養蚕」の継承を図ります。

 

郡馬県の養蚕農家数は!?

 

養蚕農家戸数と郡馬県の総世帯数、総農家戸数の推移を、いくつかの統計で見てみましょう。

明治21年の調査によりますと、県内世帯の57%が養蚕農家でした。この、総世帯の半数以上が養蚕農家の状況は、大正時代まで続きます。

 

県内養蚕農家のピークは、明治34年の87、867戸でした。

ですから、製紙や織物を含めた蚕糸業全体だと、県内世帯のほとんどが何らかの形で、蚕糸業に関係していたと言えましょう。

 

次に、昭和33年では、県内農家の2/3が養蚕農家でした。

この年、戦後最大の養蚕農家戸数を記録したあと、年年養蚕農家は減少して、平成17年には、650戸になってしまいましたw。

 

私の実家が養蚕業をやめてしまった経緯は!?

 

わたしの実家では、私が生誕したころから、養蚕業を営んでいましたが、私が高校生のころ3年生だったかまったく養蚕業をしなくなりました。

まあ、親戚でも知り合いでも近所でもこのころは養蚕業をしなくなっていきました。おそらく会社勤めに集中したほうが稼げるし、養蚕は割が合わなくなったのだろう。

 

わたしの家の隣保班と言われる近所の地区では、養蚕業を10件くらい営んでいましたが、わたしの家が最後から2番目まで養蚕してました。

近所の地区が養蚕をしなくなったのは、昔からの養蚕してた年寄り世代が腰を悪くしたり、体を壊したからという説もあります。一つしたの世代は高度経済成長期で会社に就職したほうが割が良かったからw。

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