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[柔道] 吉田秀彦 対 中村佳夫の1995年の世界選手権代表争い!!三つ巴、四強?[86キロ級]

この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。

わたしは、過去に柔道をやったことがありました笑笑。
そして、そういう柔道の経験は今の生活に役に立たってるかといいますと、それは疑問符がつくかもしれませんw。

 

しかし、柔道をやりましたので、関りももちましたので、そういう路線もできました笑。
1995年当時に、たしか、柔道の世界選手権にはかなり大注目をしていましたw。

 

私は、あるときから、当時、86キログラム級で最強の強さを誇っていた、吉田秀彦選手のファンになってしまいました(笑)(笑)。
いや笑い事では、彼には失礼なのですが、彼はもうどこかほかの選手とは違った凄みをもっていましたw。

 

彼、吉田秀彦の大ファンである人はたくさんいますし、彼の柔道の功績はもうすごいものがありますよ。
Youtubueとかでも、吉田秀彦のことはもう検索すれば見ることはできますよ!彼の技は切れていたし、全盛期は強すぎた!!!

 

吉田選手の得意技↓
内股
大外刈り
背負い投げ
払い腰
大内刈り

 

そのような吉田でしたが、22歳ではじめて臨んだオリンピックであっという間に表彰台の中央にたってしまいましたw。金メダルでしたw。
そのあとも、つねに、世界選手権の代表争いのトップをキープしてるような吉田でしたが、

 

1995年の日本の幕張で開催された世界柔道選手権の争いは、周りから見ても、歴史上まれにみる凄いものがありましたw。
三つ巴とか、四強?

私が吉田秀彦のファンになったきっかけ?近代柔道の購読から!

私は、柔道をやっていまして、そのころ、ふと本屋で月刊誌、近代柔道を目にしましたw。
そして、確か吉田選手が表紙になったころからか、購読したのかな(笑)。

そして、しばらくの間、近代柔道を読み漁りました。
柔道をしたからこそ、近代柔道を読んだのだと思いますよ(笑)。

 

1992年バルセロナオリンピックの金メダル!

彼、吉田秀彦はもう10代ころから柔道の逸材として、兄弟子の古賀秀彦とともにこれからを期待されていましたw。
そのような状況の彼ですが、当時のオリンピックの練習中の本番で、古賀選手にけがをさせてしまいましたw。

 

それでも、最後は二人とも、バルセロナでそろい踏みで金メダルをとったのですから、たたえるべきですよw。
彼、吉田秀彦はこの金メダルを境に日本中に知られるようになりましたw。

バルセロナオリンピックの時の吉田選手の減量苦?13キロの減量!


彼、吉田選手が、バルセロナオリンピックの時は、78キログラム級での出場でしたw。
その当時は、13キロの減量をしていたのかな!それは過酷な減量だったという!

 

吉田秀彦は、は、高校の時は、軽重量級86キロだったし、本来はそのくらいの階級がベストだったかも。
当時のライバルの岡田弘隆も、吉田のことを本来なら、90キロ級くらいの体と強く言っていたしw。

 

1993年吉田秀彦、ハミルトン世界選手権の戦い?

彼、吉田秀彦選手は、1992年バルセロナオリンピック当時は、78キログラム級でしたw。
それで、その時は減量が激しくて、13キロの減量をしていたそうです。

 

それで、翌年の世界選手権は、本人は、86キログラム級で挑もうとしましたが、全日本の要請で、78キロで戦うことになりました。
それで、決勝では、減量苦で、思うように力が出せずに、銀メダルに終わってしまいました。

 

1995年の世界選手権代表争い?吉田の状況、ライバルは誰?

それでこの記事の本題にやっとこさ入っていこうと思いますよw。

この当時は吉田を含め、代表の1つの椅子を3,4人で争っていたという状況でしたw。

とにかく、4人が誰もが強くて、だれが世界選手権の舞台に上がってもおかしくはなかったし、だれが世界選手権に出ても、メダリストの候補でしたw!!。

 

その時の4人を紹介します↓()内は、当時の在籍

吉田秀彦(新日鉄)
1992年の言わずと知れているバルセロナオリンピック金メダリスト!そのあとも、数々のタイトルを獲得してきた!
中村佳夫(旭化成)
1993年のハミルトン世界チャンピオン!吉田の当時のもっとも手ごわいライバルだと言われていた。
岡田弘隆(マルナカ)
吉田の出てくる前の86キロ級の第一人者!彼は日本人初の78、86キロ級の2階級制覇の世界チャンピオンですw。
田辺勝(日体大大学院)
彼も、吉田のライバルと言われてきた男。吉田選手が同じ階級のせいで不遇の選手生活を送ってきたと言えるでしょう。

 

それで、1995年の幕張世界柔道選手権の代表が決まるまでの経緯↓

1993年のハミルトン世界選手権86キロ級で、中村佳央が金メダルをとってから、この階級は、中村が一歩リードしてきたが、
78キロ級から86キロ級に階級を上げてきた吉田秀彦がいたので、まずは吉田と中村の一騎打ちの形になってきた。時点に田辺、岡田。

 

1993年 中村佳央ハミルトン世界選手権代表
1994年 全日本選手権 吉田秀彦、準優勝
1994年 嘉納杯 決勝 吉田秀彦VS中村佳央 (優勝 吉田秀彦)
1995年 フランス国際 決勝 吉田秀彦 VS 中村佳央 (優勝 吉田秀彦)吉田代表争い一歩リード!
1995年 全日本選抜体重別選手権 吉田秀彦VS中村佳央 (優勝 吉田秀彦)世界選手権代表決定!

 

結局、吉田は中村に一度も負けたことがないまま、世界代表に選出されました。高校時代の戦績を含めると、吉田の対中村4戦4勝ですw。

 

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