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[検証] 清原和博は筋肉増強トレーニングをいかにして実施した!?肉体改造は成功した!?

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清原和博選手をみなさんは知っていますか?引退後は薬物で逮捕されてしまいましたが、それは置いときましてここでは彼の肉体改造のことに触れようと思うw。

かれは、高卒1年目から野球人として素晴らしい成績を残してきたけれども、巨人時代に名トレーナーとのもとで肉体改造を行い、素晴らしい成績を残したこともあるくらいw。

 

1998年から、故障や怪我に悩まされることになった清原が、1999年オフ、プロレスファンの清原はプロレスラーの前田日明に紹介してもらい、ケビン山崎のジムに通いウェイトトレーニングを開始した。
この『肉体改造』は30代中盤を迎えようとしていた清原の体重を増加させ、圧倒的なパワーで東京ドームで看板直撃ホームラン弾を連発することもあった。

 

これらの努力によって2001年には、5番打者として自己最高の121打点を記録した。
しかし、この肉体改造が彼の人生の歯車を狂わす分水嶺になったように思えてならない。

 

清原和博の高校時代は!?

豪快な本塁打など、試合での活躍が多くの伝説を生んだが、練習に対する姿勢も真摯であった。

そのエピソードとして、3年春のセンバツ準決勝で高知県立伊野商業高等学校の渡辺智男に3三振と完璧に抑えられ、チームも3-1で敗れた際は試合後ベンチで涙を流したが(高校三年間で唯一甲子園大会の決勝に進むことができなかった)、その日学校に戻ってからの夜、監督の中村が誰もいないはずの室内練習場に明かりがついているのを見つけて中をのぞいてみると、上半身裸の清原が、湯気のような汗を流しながら一人で黙々とバッティング練習をしていたといい、夏の大会では宇部商(山口)とぶつかった決勝での2打席連続を含む大会新記録の5本塁打と爆発し、1年生のとき以来、2年ぶりの頂点をつかみ、その悔しさをはらしたとのこと。

 

清原和博の西武の新人時代は?

 

1986年シーズンは本塁打31の他、打率.304及び打点78も1955年・榎本の打率.298・67打点を更新する高卒新人の歴代最高記録を残し、新人選手の二桁本塁打は27年ぶり、5人目の快挙であり、新人王に選出された。

同年の日本シリーズには8試合全てに4番・一塁でフル出場を果たし、初戦で自打球を左足に当てて親指を骨折するというアクシデントに見舞われたものの、打率.355(31打数11安打)でシリーズ首位打者および最多安打を記録して、チームの日本一に貢献。シリーズ優秀選手賞を獲得した。この年は流行語大賞を獲った「新人類」の代表として、工藤公康、渡辺久信と表彰式に出席した。

 

 

西武での成績↓
(18歳 – 19歳) .304 31本 78打点 OPS.976
(19歳 – 20歳) .259 29本 83打点 OPS.907
(20歳 – 21歳) .286 31本 77打点 OPS.949
(21歳 – 22歳) .283 35本 92打点 OPS1.001
(22歳 – 23歳) .307 37本 94打点 OPS1.068
(23歳 – 24歳) .270 23本 79打点 OPS.858
(24歳 – 25歳) .289 36本 95打点 OPS.959
(25歳 – 26歳) .268 25本 75打点 OPS.862
(26歳 – 27歳) .279 26本 93打点 OPS.925
(27歳 – 28歳) .245 25本 64打点 OPS.870
(28歳 – 29歳) .257 31本 84打点 OPS.866

 

こんなに完成された高卒のバッターは、もう出ないだろうなあ。この頃のバッティングは、力みがなくて柔らかいなあ。

西武時代は、少しづつ身体も大人の体形に仕上がっていく。いわゆるプロの身体に。

 

清原和博の巨人時代は!?

1999年オフ、プロレスファンの清原はプロレスラーの前田日明に紹介してもらったケビン山崎のジムに通いウェイトトレーニングを開始した。

この『肉体改造』は30代中盤を迎えようとしていた清原の体重を増加させ、圧倒的なパワーで東京ドームで看板直撃ホームラン弾を連発することもあった。これらの努力によって2001年には、5番打者として自己最高の121打点を記録した。

 

そして、2000年ころ、これだけ身体が大きくなったのに、成績は十代の頃と変わらない現実。
見た目は、大リーガーにひけをとらないのに、成績が比例していかない現実。

清原は、「野球選手は、身体の大きさで能力を競うスポーツではないことを、身を持って証明した。」
同じ道を歩もうとしている、中田翔の未来は暗い。

 

体重が過度に増加した結果、足が遅くなり守備や走塁では衰えが目立った。

禁煙こそ成功したものの、酒と豪遊をやめられない清原は、ウェイトトレーニングでは1999年の故障を根本的に克服できず、以後は体重増加により下半身への負担が増え、肉離れや膝半月板の損傷など連鎖的な故障に悩まされる。


巨人退団直前には、体重を減量し走法や重心を修正するなど、現在は一般にも知られるような科学的トレーニングも取り入れたが、下半身の故障は既に限界であった。
清原の1999年以後の規定打席到達は2001年のみである。

 

キヨハラスペシャル!?

 

スポーツ選手ではすでに引退しましたが、STORYの表紙を飾る清原亜希さんのダンナである、清原選手。

清原選手なんかは、「キヨハラスペシャル」とかいうにんにく注射が存在し、そのスペシャルにんにく注射を2本打って帰るのだそうです。

 

費用は1万円だとか。ナイナイの岡村は風邪をひいたときにキヨハラスペシャルを打ちに行くんだそうです。そして朝青龍もにんにく注射をしています。
ちなみに清原選手が「キヨハラスペシャル」のにんにく注射をしに通っているクリニックは、東京・六本木の平石クリニック。なんと、にんにく注射を開発したのは、平石クリニック院長の平石先生なのです。

 

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