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9月22日に清原和博(47)との離婚を発表した清原亜希(45)
2人は2000年に結婚し2人の男児をもうけたが、今年3月には別居を開始していた。親権は亜希夫人が持つ。
亜希夫人は、今年3月から2人の息子を連れて家を出て、少し離れた家賃45万円の3LDKのマンションで新たな生活をスタートさせている
亜希夫人は、モデルの仕事と子育てを完璧に両立させてきた。家庭第一で、撮影の仕事は子供が学校に行っている間のみ実施していた
亜希のプロフィール!?
卒業後は芸能活動の一方で、蕎麦屋、焼鳥屋、喫茶店などでアルバイトをし、その時の料理経験が後に役立った。
1984年ミス・セブンティーンコンテスト応募総数史上最高18万325人の中から全国大会でスカウトされ芸能界入り。
工藤静香・柴田くに子とともにセブンティーンクラブのメンバーで、レコードを2枚リリースしたが、1985年に解散した。1986年にはB・C・Gのメンバーとなったが、短期間で解散。その後はモデルとして活躍していた。
2000年にプロ野球選手の清原和博と結婚。同年12月8日奈良県の大神神社にて挙式。新婦側の列席者には同級生の山瀬まみ夫妻がいた。
間もなくして、実母が腎臓癌である事が判明。早速、和博は自宅近くにマンションを購入。亜希の母親を福井から東京へ迎えた。
2014年に離婚。2児の男児の親権を持つ。
離婚後の初仕事は木村亜希でなく清原亜希のまま!?
亜希元夫人(45)がモデルを務める女性誌「Marisol」の11月号が7日、発売された
この号は、清原亜希にとって離婚発表後の“初仕事”。それだけにモデル名がどうなるのか注目された
名の「木村亜希」で心機一転、とはならなかった。
木村亜希」に戻さなかった理由について、所属事務所は「ノーコメント」あるファッション誌のライターは、「校了や印刷スケジュールの都合などで、変更が間に合わなかった可能性があります」と言う
しかし、実は今後も「清原亜希」のままで活動する可能性がありそうである
「いまどきの40代女性モデルは、子育てや離婚も含めて、自分のライフスタイルをポジティブに見せる術に長けていますから」という声もある(ファッション関係者)
シングルマザーで2人の子供を養う清原亜希夫人!?
長男(12才)と次男(9才)はいずれも、東大よりも難関といわれる超名門私立小学校に通っている
離婚にあたって亜希さんはご主人から慰謝料をもらうことができませんでした
育ち盛りの男の子を養い、高額な学費を2人分支払っていくのは、並大抵のことではない。
亜希さんは今後、モデル業だけでなくタレント業もしていきたいそう
「これまでは基本的にお子さんが学校に行っている間に仕事を引き受けるというスタンスでしたが、今は、できるかぎりの仕事を引き受けるようになりました」(芸能関係者)
亜希夫人が信頼してる男性って?
週刊誌が、亜希夫人が頼り切っている男性の存在をキャッチしていた
その男性は、あるときは亜希夫人に代わって子供の送り迎えをし、またあるときは仕事に出かけた亜希夫人の留守宅を預かっていた。はっきりした顔立ちでがっしりした体形の男性・・・それは、亜希夫人の兄だった
「今は住み込みのような状態で彼女と子供たちの面倒を見ているんです。今回お兄さんは、亜希さんの状況を聞いてすぐに飛んできてくれたそうです。」(清原家を知る人)
「彼にも自分の生活があるはずなのに、いつも妹のことが第一なんですよね」(清原家を知る人)
小学生の時に亜希夫人の両親が離婚、兄はその時から!?
父親のギャンブル依存が原因で両親が離婚した時、亜希はまだ小学4年生だった
当時中学1年生だった兄が、その後の母と亜希を支えたという。
高校入学直前、芸能界デビューをするため上京した亜希。売れない芸能人としての下積み時代を叱咤激励してくれたのも兄に他ならない。
最愛の母の最期をともに看取ったのも兄だった。「亜希さんも“カレがいてくれて本当に心強い”と感謝してもしきれない様子。絆が強いんですね」(清原家を知る人)
今では友人から悩みも相談されている!?
10月初旬。午前11時ごろ東京・赤坂のホテルに現れると、中にあるラウンジへと入っていった。
髪を後ろでゆるくひとつにまとめ、肩にカーディガンをかけながら颯爽と歩く。その左手薬指に、もう指輪はなかった
この日、待ち合わせていたのは同級生らしき友人女性だった。
2人は時折、深刻な顔をして相談をし合っているようだった、最後には笑顔になっていた。1時間程で、2人は席を立った
離婚直後にもかかわらず、何でも話し合える間柄なのだろう。帰り際、2人はこんな会話をしていた。
友人「なんか、今日はいろいろと話を聞いてもらってありがとうね」亜希「いえいえ。またなんかあったら、いつでも連絡してきて」
ママ友の悩みを聞くほど、“心の余裕”も生まれているようだ。
最後に彼女は「じゃあね!」と笑顔で手を振って店を後にする。その顔は、どこかスッキリとしていた。
清原和博の状況がひどい!?
薬物疑惑報道以来、タレントとしても野球評論家としても開店休業状態。今では1回100万円のパチンコ営業で食いつなぐ現状
パチンコ店で清原和博氏が営業する様子を報じている。無愛想でそっけなく、司会者 との会話もちぐはぐで15分程度で退席したという
“番長”は写真週刊誌の取材に対し「いまは自由に子供に会えへんのが一番ツライ。」と愚痴をこぼす
「毎日、子供の写真を眺めてはひとりで泣いてんねん……」と語っており、今でも未練タラタラのようである