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さて今回は、歴史的な埋蔵金のことにふれていこうと思います。
その名は、徳川埋蔵金です。いまだに未発掘だといわれ、これに関心が高い人も少なくないですよ。
なぜ、埋蔵金のことを書こうと思ったのか?
最初からこの記事を書こうとは思ってはいなかったのですが、あとで書こうと思ったとかの経緯になりますw。
最初から、書かないとかだから、あえて埋蔵金目当てではなく、たまたまそういう話題が浮かんだという構図になります。
それでも、日本史を学校で授業で聞いていた時から、徳川の歴史の埋蔵金とかには興味がありましたw。
でも、そのころは、近所で古墳が見つかったということを聞いたこともあったが、徳川埋蔵金だと話のスケールが違っていたw。
なにしろ、歴史の変わり目の埋蔵金ですからね。
それでこの記事を書こうとしたのは私たちが徳川埋蔵金の候補地である赤城山に行ったので、それでその時のことを書くのです。
赤城山に行ったと言いましても、埋蔵金の調査とかで行ったのではありません。
ふらっと遊びに行ってきたのです。
それで、しかも、その赤城山の行楽の途中でそういう埋蔵金の深い話になりつつあったのです。
そもそも徳川埋蔵金とは?
そもそも徳川の埋蔵金とは?
このネーミングを聞いたことはあるかもですが、詳しくは知らないというかたもいるでしょう。
これは、江戸時代に徳川幕府が、政府側に戦争で負けるころに、資産、財宝を奪われるのをさけるために、
多くの埋蔵金を、関東のどこか?もっとも有力な説は赤城山に埋めて隠したという説がかなり有力な説で、
その価値は、現在の換算で20兆円とかだから半端ないスケールですよね。
徳川時代とかは、人斬りや斬首とかがけっこうあった時代だから今と比べると怖い。それほど大昔ではないのに。
テレビ放映された埋蔵発掘作業w
1990年から1995年にかけて、TBS系列で赤城山に埋蔵金発掘という企画が開催されました。
そういえば、10代真っ盛りから、20代のこのころにうっすらこういう企画があったのを覚えている。
現在は、すでに埋め戻されてはいますが、
その当時は、周囲400メートル、深さ50メートルという構図なのだから壮大なものですよw。
糸井重里を隊長としまして、地面を掘り起こす場面は、けっこうTBSで放映されていたみたい。
しかしながら、まことに、惜しいのですが、最後まで埋蔵金は発見されなかったのだ。
でもなぜ、TBSが埋蔵金の放映を?
じつは、赤城山の所有者の3代目がずっと発掘作業をしていたのです。
この家系は水野家といいます。代々、発掘作業をしていたらしい。
TBSの放映はその長い一コマに過ぎなかったのです。
なんとなく、私たちは、赤城山に向かった
その日は、夜も明けそうでまだ眠かったですが、家には帰りそうもする様子もなかったので
どこでもいいから遊びに行こうという話になりました。
そしたら、湖に行きたい!という言葉が出たので、赤城山の大沼とかに行くことにしました(笑)。
ここらで埋蔵金の話とはかなりずれています。
でも赤城山に行くのはなんだか久しぶりのような気がしました。
それでも、山中のドライブは気分良かったし、ストレスの発散にもなっていたようでした(笑)。
ここらはシカやイノシシ、運悪いならば熊もでる山中でしたが、昼間なのでそれほど怖くはない。
走行中に、影がとっさに横切ったが、あれはシカあたりだったのかもだがはっきり確認はとれなかったw。
赤城神社の看板に埋蔵金のことが?
赤城の湖は夏でしたので、氷もなく、見渡す限り水面が向こうまで。。
それで、お昼はしないで、大沼を眺めていました。
なんだか、観光客はほとんどいないで、静まり返っていましたが、湖の自然のスケールは感じましたw。
それから、赤城神社に行くことにしました。そこまでには大きな橋がありました。向こう側が神社の敷地らしい。
橋の下には、大きな鯉がゆうゆうと泳いでいたw。まるで私たちのデートを歓迎していたのか。
赤城神社を前方にしたら、相方が徳川埋蔵金のことを話しはじめた。
どうしたのだろうか?急に。
どうやら、赤城山の徳川埋蔵金のことを記憶に思い出したらしい。
赤城神社で手をあわせてきたあとに、林の一角に看板か立札があった。
そこにはおあつらえむきに、徳川埋蔵金のことが難しい古びた字体で書かれていた。
我々は、それをかなり真剣に読んでいたが、なにかすべては理解できないでいたが、
赤城山の徳川埋蔵金の説のことはおおむねわかったようだ(笑)。
赤城山の地元の人や観光客もなにやら異様な空気がw
埋蔵金の余韻に浸っていましたら、ツアーバスの観光客がきていました。
それと地元のこの土地柄を知っていそうな連れみたいなのが、ここらに散歩にきている様子でした。
このふもとには、けっこう長い散歩コースがありました。
私たちもここを歩きました。でも山頂で霧がうっすらだったので、けっこう熊でも出てきそうな空気もあった(笑)。
それで夕方になるので帰ることにしましたが、
ここらの散歩していた
特に、この地元のおばさん二人組とかは、なにやら徳川埋蔵金のことを知っていそうな雰囲気ありましたが、
話すこともなく私たちは帰りました。
それでも、離れから見下ろした霧のかかった大沼を見渡すと、徳川埋蔵金の新事実をさらに詮索したくもなりました。
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